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「八王子の歴史と文化を尋ねる」その5

『絹道栄枯盛衰』

(きぬのみち えいこせいすい)

   − 八王子 −

CEC社内報「CHUO」'95 冬季号 VOL.9 より


東西に走る甲州道中(街道)は、政府の政策による多分に軍事的、政治的な色彩 が濃かったのにくらべ、幕末から明治にかけてのひととき、絹商いの活気ととも に殷賑(いんしん)をきわめたのが、八王子宿から南にむけて開けた鑓水(やり みず)街道、今回の探索は、押し寄せる文明開化の波とともに、うたかたの如く 花開き、散った絹商人の思いを偲びながら、後年 絹の道と 名づけられたこの界隈をたずねます。


ペリー入港と御殿山の松

嘉永6年(1853年)、ペリーひきいる艦隊が浦賀に入港。これを契機として 二百二十年におよぶ徳川幕府の鎖国政策が大ピンチとなります。このとき、国防 の一環として、幕府が講じた対策の一つは、品川沖に、お台場と称する海堡を築 き、外国艦隊を迎え撃つということでした。

そしてこの海堡の構築のために、鑓水御殿山界隈の松、雑木あわせて4万2千本 を杭木として調達したとの記録が後に生糸問屋の豪商のひとつとなった大塚家に 伝わる文書に残されています。ちなみに、この土木工事には、石材は伊豆、土は 品川の御殿山から調達されたのだそうです。

写真 鑓水(やりみず)街道と 「絹の道」 遊歩道

木材の調達を請け負わされたこの地域は、今の地理環境からいうと、御殿峠と国 道16号線とそのバイパスが南にむかって交差するあたりで、最近では開発が随 所で進められており、当時の緑豊かな山林を偲よすがもありませんが、昭和47 年、絹の道を中心とした地域の保全と環境整備のために市史跡の指定を受け、 旧道了寺跡に整備された大塚山公園から、 絹の道資料館まで、 約1.5キロの古道 が残されています。

この道は昔は八王子の八日町から片倉、鑓水峠を経て、伊勢木谷戸を通り多摩丘 陵を越えて町田、横浜に向かう生糸の商いに頻繁に使われた道なのだそうです、 当時は鑓水街道または浜街道と呼ばれていました。

この頃、鑓水周辺の農家では、副業として生糸の生産が盛んで、これがやがて山 梨、群馬、長野あたりまでの生糸の流通の拠点に発展し、何人もの鑓水商人とい われる豪商を産み出すもととなりました。

写真 絹の道資料館小泉屋敷永泉寺

当時の活気あふれる街道の往還を想像しながら、 大塚山公園から、 木漏れ日と静寂のしじまをゆっくり歩いて約20分、この絹の古道をぬけると左手に 「絹の道資料館」 があります。

この資料館には、安政6年(1859年)(※) 横浜開港とともに、欧米諸国との交易 が始まった生糸貿易の栄枯盛衰を物語るいろいろな資料や錦絵、遺物が展示され ており、好事家ならずとも興味をそそる内容です。

この近辺には、昔の農家のたたずまいをのこしている 小泉屋敷や、 栄耀栄華を誇った鑓水商人の文化遺産が残されている 永泉寺などがあります。

休日の散策には手頃なロケーションでもあり、一度尋ねられてはいかかでしょう。 資料館は、当時、この地の名主であった八木家の屋敷跡で、昭和62年から発掘 調査と石垣などの復元作業が進められ、平成2年に開館されたもので、入場は無 料、ただし月曜日は休刊日です。

− 終り −

※ CEC社内報「CHUO」では 万延元年(1860年)となっていますが 安政6年(1859年)に訂正します。


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