八王子 千人同心
千人同心とは,徳川家康が関東入国とともに,武蔵・甲斐の国境の甲州街道警備 をするために設置された十組千人の武士団です。 (現在で言えば国境警備隊でしょうか?)
その後,日光東照宮の勤番,蝦夷地(北海道)の開拓などを行い, 現在ではこの縁で, 日光市 (栃木県)・ 苫小牧市
(北海道)とは姉妹都市になっています。 また幕末には長州出兵や横浜警備なども行いました。
江戸幕府が安定すると,八王子千人同心の中から 医師,文人,思想家などの多くの学識者を輩出し 地域に文化的な影響を与えてきました。
千人同心の住んでいた屋敷跡には碑 【写真】が建ち, その一帯は「千人町」という地名がついています。
主な千人同心
- 近藤 三介 方昌(こんどう さんすけ よしまさ)
- 天然理心流二代目。戸吹町の 桂福寺には 開祖の近藤内蔵助長裕と並ぶ墓がある。
なお天然理心流四代目は新撰組局長・近藤勇である。
- 植田 孟縉(うえだ もうしん)
- 「新編武蔵風土記稿」の編者。他に「武蔵名勝図会」「日光山志」 「日光名勝考」「鎌倉名勝図」「浅草寺旧跡考」などがある。 滝山町の宗徳寺には
孟縉の墓がある。
- 小谷田 子寅(こたや しいん)
- 蘭学者,医師。 村人にわけへだてなく診療,投薬をした善行をたたえ, 下恩方町の心源院に
塩野適斉が撰文, 植田孟縉が書の碑がある。
- 松本 斗機蔵(まつもと ときぞう)
- 千人同心 組頭で儒学者。 塩野適斉に漢籍を学ぶかたわら,湯島の昌平坂学問所に入る。 最上徳内,高野長英,渡辺崋山らと交流し鎖国の可否を論じた 「献斤微衷(けんきんびちゅう)」を著す。
千人町の宗格院には 斗機蔵の墓がある。
- 塩野 適斉(しおの てきさい)
- 「桑都日記(そうと にっき)」正続50巻の著者。 また植田孟縉,原胤敦とともに「新編武蔵風土記稿」の 編纂にも加わった。 大横町の極楽寺には
適斉の墓がある。
- 石坂 弥次右衛門 義礼(いしざか やじえもん よしかた)
- 幕末,日光火の番に赴任。官軍の板垣退助らに日光を明け渡し, 八王子で自害。後に日光を戦火から救ったことが認められた。 自害をした千人町の興岳寺には
義礼の墓がある。
日光市(栃木県)とは,千人同心の日光火の番が縁で姉妹都市になった。
- 原 胤敦(はら たねあつ)
- 蝦夷地御用を命じられ北海道に赴任。 また植田孟縉,塩野適斉とともに「新編武蔵風土記稿」の 編纂にも加わった。 上野町の本立寺には
原胤敦の墓と三田村鳶魚の墓がある。
苫小牧市 (北海道)とは,千人同心の蝦夷地御用が縁で姉妹都市になった。
- 二宮 心斎(にのみや しんさい)
- 幕末に千人同心の名簿といえる「番組合之縮図」を著す。 また明治になって「千人町」の名称を残すことにも尽力。 散田町の真覚寺には
「二宮心斎翁の碑」がある。
- 三田村 鳶魚(みたむら えんぎょ)
- 江戸風俗,文学考証の第一人者。千人同心の出といわれている。 坪内逍遥らと車人形
の研究や保存に努力した。 上野町の本立寺には 三田村鳶魚の墓と原胤敦の墓がある。
- 十返舎 一九(じゅっぺんしゃ いっく)の親
- やじさん,きたさんで有名な「東海道中膝栗毛」の著者である 十返舎一九の親も千人同心の出身。
参考文献
- 墓誌識千人同心
- 中央電子社内報「CHUO」
- 「歴史と浪漫の散歩道 −八王子市文化財ガイドブック−」
- 編集・発行:八王子市教育委員会,社会教育部社会教育課
八王子散歩みち− 東京都八王子市|
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